◇1
実はまだ、手をつないだことがない。
伊沢と付き合い始めてかれこれ2ヶ月近くになる。
バレンタインにはチョコもあげたし、受験生が何をする、って怒られるかと
思ったけど、伊沢も喜んでくれた。
相変わらず家庭教師としては一流で、いつも伊沢の家に行って勉強してるんだから、
会う機会だってすごく多いし、少しでも遅くなると必ず家まで送ってくれる。
伊沢はすごく優しいから。
一度買い物に行った時、人ごみの中ではぐれそうになった。
その時、伊沢は手を握るか?って聞くように静かに手を差し出してくれたのだけど。
「あ?伊沢さん!アキラ!どうしたんすかーこんなところでー!」
「健太?久しぶり」
「ただの買い物だ」
俺が女だった、ってことはもう皆知ってる。
騙してたってことでどんな制裁を受ける覚悟もあったけど、皆は少しの戸惑いのあと、
それでも俺を受け入れてくれた。
それは俺がやってきたことや皆と過ごして来た時間が無駄じゃなかった、ってことで
すごく嬉しいことだった。
今俺と伊沢が付き合ってる、ってことも、親しかった仲間たちは一応知ってることだ。
だけど結局、健太たちと別れたあとも、伊沢がもう一度手を差し出してくれることは
なくて、かわりに優しく肩を抱いて人ごみからかばってくれた。
「えー?!手をつないだことがないって!?!」
祥たちに話したら、すっとんきょうな声を上げてたっけ。
それでしばらく「理解に苦しむ」って顔で頭を抱えていたけど。
やっぱり、付き合ってて手もつながない、ってのは普通とは違うんだと思う。
……高村さんと比べるのは多分、間違ってるにしても。
同じ机で、俺のわからなかった問題を説明してくれている伊沢の手を見る。
大きい手だ。
思えば、この手に触ったことなんて数えるほどしかないかもしれない。
遡れば抱きしめられたことはあっても、それは全部他に人が居ない時だった。
……伊沢は、俺と手をつなぐのが嫌なのかな?
それとも、皆が居る時だから嫌なのかな。
「……アキラ?どうした?」
思考に耽ってぼーっとしていたらしい。
「あ、ごめん伊沢。何でもない」
あわてて謝り、説明の続きを頼む。そうだった、俺は受験生なんだった。
伊沢だって大学の勉強で忙しいところわざわざ時間作ってくれてるんだから、
真面目にやらなきゃいけないんだ。
答えの出ない思考に耽っていた自分が情けない。
「……いや、少し疲れただろうから、休憩にしよう」
「そう?……ごめん伊沢。時間作ってもらってるのに、集中してなくて」
「いや、そんなことはない」
って言うけどさ!伊沢はいつもそう言うから、迷惑かけてても迷惑をかけた、って
俺にはわからないじゃないかっ、といつも思う。
「アキラ様、それは試すしかありませんわ!!」
「た、試すって?」
「殿方が己を本当に好いているのであれば、相手に触れたいと思うものですもの!」
「はあ…」
「二人っきりになって、相手の気持ちを試すのですわ!!」
「試すって、そんな権利、俺にはないと思うけど…」
「甘いですわ!!私のアキラ様と交際しておいて、権利など主張させません!!
全ての権利はアキラ様が所有するのですわ!!」
「ルカ、お前もたくましくなったなぁ」
「…祥もルカも、もう少し言い方ないの…?」
そんなこともあったな、と思い出す。
そのあともルカは殿方に権利などない!って熱弁を振るっていたっけ。
……試す、か。
あの時は現実感のなかった単語が、何となく自分の中で重い位置を占め始めたことを
感じる。
試す。
何を?
……伊沢の気持ちを。
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