7days, seventhday

◇3

せっかく年が明け、おめでたく明るいお正月を迎えているというのに、
伊沢家といえば呪われたように薄暗かった。

それは全て長兄から流れ出す原因不明の闇のせいだ。

去年からどことなく不機嫌な様子だったことは兄弟みな知ってはいたが、
年が明けてからというもの更にひどい。
いつもなら兄弟の前でだけは優しい兄を保っているというのに
家ですらこの闇の量。


あの優しい吉兄が。
いつでも我慢強い吉兄が。

……何か自分たちには想像も出来ないような、とんでもないことがあったに違いない。



そう幼い姉妹たちは推測した。
ただ壱成だけは、その本当の原因をかなり正確に推測していたが、
だからといって兄を慰める術を持たないか弱い弟である。




そんな状態が一週間も続いたころ。


「壱成、買い物に行こう。何か買うものはあるか?」
「いいの?吉兄。このリストのなんだけど、お店ちょっと遠いから……」
「構わない」
「いってらっしゃい、吉兄」

と、あくまでも表面上はにこやかに、壱成は兄を見送った。


兄が幾分乱雑に(しかし精一杯の丁寧さで)玄関の扉を閉めると同時に、
壱成の耳に聞きなれた着信音がかすかに聴こえてきた。

……兄の部屋からである。
そしてこのメロディは……


「……、吉兄!」

壱成はあわてて兄を呼び止めようと扉を開けたものの時すでに遅く。
いたいけな兄弟達に迷惑をかけぬよう配慮を続けた長兄の鏡のような「吉兄」は
閑静な住宅街で無免許運転のGT-Rをかっ飛ばし、
あっというまに壱成の視界から消えていった。

「よし……あーぁ……」

なんて間の悪い。
タイミングといい、吉兄がこの時に限って携帯を忘れたことといい……


壱成の耳に届いたのは、アキラからの着信を表す専用のメロディ。

近頃の吉兄がおかしかったのは十中八九、99,9999%間違いなく、あの綺麗な
……隠してるけど実は女な、矢野さんと何かがあったからだと壱成は考えていた。



無論壱成は尊敬する唯一の兄の幸せを誰よりも願っている。
実際矢野さんと吉兄の間で何があって吉兄の不機嫌が始まったのかまでは
壱成には知るべくもなかったが、どちらにしろ矢野さんと話せば
過去の経験から言っても100%間違いなく吉兄の機嫌は直るということは想像できた。

それも折角矢野さんの方から電話がかかってきたのだから、どんな喧嘩をしたにしろ
吉兄にとって嬉しくないはずがないのに。



ずいぶん長く鳴り続けた着信音が止まったのを聴いて、壱成は再び特大の溜息をついた。

吉兄が携帯を忘れるなんてこと過去になかったから、きっと矢野さんは吉兄がわざと
電話を取らなかったと思っただろう。

壱成には兄の電話に勝手に出ることなんか出来ないし、矢野さんにかけなおしてこの
事実を伝えたとしても、それはそれで不興を買ってしまう。


でも矢野さん以外に吉兄の機嫌を直せる人間なんて、この世に存在しないのだ。


三度特大の溜息を吐いて、壱成は更に暗い気分になった。
今なら兄が闇を出したくなる(ていうか出してる)理由も分かる気がする。


どんよりとした気分で沈んでいると固定電話のベルが鳴った。

「?誰だろ」

ちょうど妹たちが遊びに行っていたので、壱成が出る。

「はい、伊沢です」
「あ、もしもし壱成君?」
「矢野さん!?」

あまりのタイミングの良さに、壱成は一瞬夢ではないかと疑った。

「ごめん、さっき伊沢に電話したんだけど、……繋がらなくて」
「ああ、吉兄さっき買い物に行ったんですけど携帯忘ていっちゃって」」
「そうなの?」

自分が拒絶されたわけではなかったと知って、ほっとしたような声を出すアキラ。

「そうなんです。珍しいですよね、吉兄が忘れるなんて」
「そうだね。あの、壱成君」
「はい」
「伊沢がどこに買い物に行ったか聞いてもいいかな……?」

壱成はまた驚いた。あまりに自分の願望どおりに物事が進みすぎる。
そりゃ、矢野さんが吉兄を追いかけていってくれたら万々歳だ。

「もちろん。でも、ちょっと遠いですよ。それに色々あるから……」
「何軒か回る予定があるなら、むしろ伊沢を見つけやすいと思うんだ」
「?」
「伊沢ならきっと、一番効率のいい順番で買い物していくだろうから」
「そうですね」

さすが矢野さん、吉兄のことをよく分かってらっしゃる!
確かに吉兄は道順やタイムサービスなどの時間などを考えた上で買い物に回る。
最後に回りそうなところで張っておけば、少しくらい出遅れたって挽回は可能だ。


壱成は兄に渡した買い物リストとそれを買うであろう店の場所とを残らずアキラに
伝えた。

アキラは電話越にそれを聞きながら早速作戦を練っているようだったが、
一通り聞き終わると丁寧に礼を言って電話を切った。


壱成も受話器を置き、先ほどとは反対に心が弾んでいくのを感じていた。

兄の幸せを自分の幸せのように喜べる弟。
ある意味、とんでもなく豊かな感性を持った大変兄想いな立派な弟ではある。

「うん、矢野さん、頑張って!!」

と、人知れずエールを送る伊沢壱成であった。

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