◇5
伊沢は後悔していた。
いや、自分が後悔していないからこそ、後悔していた。
アキラが男たちに囲まれた時、咄嗟に出て行こうとし、渾身の力を込めて
踏みとどまったのに。
「もう会わない」といったアキラ。
そのアキラの前に、出るのか?
それはアキラに許されるのか?
たとえアキラを助けようとしたのだとしても、族でもないただのナンパな男4人組。
本気を出したアキラが負けるはずのない相手。
今はロングスカートなどはいているので、多少は危ないと言えなくもないが、
現段階ではとてもアキラに言い訳できるものではない。
それに、恐ろしくもあった。
今間近にアキラを見てしまったら、自分がどうなるのか分からなかったから。
それでもその場を立ち去ることだけはどうしても出来ず、そのまま見守った。
男たちが数にものを言わせてアキラを囲んだが、さすがにアキラも不用意に死角を
とられてはいない。
相手の人数も少ないし、そう長くはかからないだろう。
このまま終わってくれればいい。
その時、男が小さな袋を取り出したのが分かった。
そしてその行為が何を暗示し、どうやって奴らの虚構の自信を保たせているかも。
当然のようにアキラが動いた。
伊沢の胸がちりりと痛む。
今はもうここにいない、ピエロのようなあの白い影に、アキラの想いを読みとって。
瞬間、白い粉がアキラの顔に降りかかる。
目を庇い、顔を背けるようにするアキラ。
男たちの手が、アキラへと襲いかかろうとし……
伊沢は動いた。
アキラの前へ出て平静でいられるか そんな問いに無理やり大丈夫だと納得させて
許されるかどうか その問いに十分な状況なのだと自分に言い聞かせて
出たら後悔することになると分かっていて
それでも身体が先に動いて
ほとんど一瞬のうちに、
先ほどまでのアキラの敵と対峙し、同時に殴り飛ばしていた。
男たちが全員のびきってしまうと、アキラがそろそろと顔を上げるのが分かった。
そして冒頭に戻る。
伊沢は自分が後悔していないことに後悔した。
「……伊沢……」
一週間ぶりに聴くアキラの声。
この一瞬後にはもう二度と会えなくなるかもしれず、あるいは彼女の前に勝手に
現れたことで更に現状を悪化させた可能性もかなり高かったというのに、
今、この瞬間に、自分の名を呼ぶ彼女の声。
それがもたらす、この至福。
そんな刹那的な喜びに支配される自分に、頭を抱えたくなる。
自分は全く後悔していなかった。
しなければならないというのに、この喜びだけで十分だと考えていた。
どうせ明日には会えないことに打ちひしがれると分かっていて。
後悔出来ないのなら、アキラの前に出て行くべきではなかった。
少なくとも、傘にかけた最後の可能性を残せたのだから。
アキラがまだ瞳を押さえていたことに気づいて、伊沢はミネラルウォーターの
ボトルを差し出した。
「……目を、すすげ」
「あ、ありがとう……」
アキラが戸惑ったように礼を言い、ボトルを受け取る。
簡単に目をすすぐと、立ち上がって伊沢にボトルを返した。
「ありがとう、助かった」
自分を直視しないアキラに、胸が痛い。
あれだけ痛んだというのに、こうしてまた新たな痛みをもたらす自分の心が、
つくづく伊沢には不可解だった。
「その……伊沢、ちょっと、話したいことがあるんだけど……いいかな?」
きた、と思った。
「ああ、構わない……。場所を変えたほうがいい、こいつらの始末はやらせておく」
「うん」
倒れた男たちの始末を携帯で連絡し、近くの駐車場で助手席にアキラを乗せた。
アキラは黙っている。
伊沢は、場違いだと分かっていながらも、かつてのように助手席にアキラが座って
いるという喜びに、いつもより少しだけゆっくりと いつもより格段に気を配って
安全運転をした。
束の間の至福と分かっていても。
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