◇2
突然のアキラのセリフ。
突然のひどい雨。
因果関係ははっきりしていた。
…アキラ以外の人間にとってのみ。
長い沈黙。
当然何が起こったのかわかっていないアキラは、急に降り出した雨に
驚きの声を上げるばかり。
「…アキラ、」
「なに?伊沢」
低く轟く雷雲のごとき彼の声に、彼女が気づいてくれさえすれば全ては片付く。
が、それを期待するのは甚だ困難だ。
「…それは、一体…」
「え、だから、その、明日から伊沢先に帰ってていいよ、ってことなんだけど、」
どこかに雷が落ちた。
「うわ、すごい雷…!一体急にどうしたんだろうね、いざ――」
「アキラ」
「なに?」
「…その、なんでまた急に。」
「急に、ってわけじゃないけど…前々から、いっつも送ってもらうの悪いな、って
思ってたわけだし…」
「…そんなことは、構わないといつも言っているだろう」
「でも、」
「…いやか?」
「ま、まさか!」
伊沢、精一杯の反撃に、とんでもないとあわてて首を振るアキラ。
この反応は本物だ。
ではなぜ、別々に帰ろうなどと言い出すのだろう?
伊沢にはわからない。
今までなら「アキラが望むなら」それさえ叶えただろう。
だが、今は―――もう少しだけ、食い下がってみる。
「一体、なにがあるんだ?授業なら、俺は図書館にいるから――」
「ううん、授業じゃないんだ。」
「授業じゃない?」
「その、…伊沢、笑わない?」
「なにをだ」
「その、俺、…サークルに入ろうかと思って」
一瞬のうちに、伊沢の中でその言葉が100回はリピートされた。
「…サークル?」
「そう。この前見学に行って、悩んでたんだけどやっぱり入ろうと思って、」
なるほど、と伊沢の中でようやく記憶がつながる。
サークルの見学に行くので、「先に帰ってて」だったわけだ。
「実はもうメンバー登録してもらっちゃってて…」
さすが元鬼面隊親衛隊長、行動力は現役時代と変わらない。
…少しくらい相談して欲しかったかなと、思わないではなかったが。
伊沢は頭の中で、空手サークルに関する記憶を思い起こす。
確か男女混合のサークルで、練習は厳しいらしいが、女子のほうが多く、結構強い。
男女混合、という言葉にひっかかりつつ女子のほうが多い、という情報で納得させ、
更に問い返す。
「だが、何も毎日別に帰らなくても…毎日練習があるのか?」
ずっと通っていた道場はどうするのだろう。
よりレベルが高い大学のサークルを練習場所にするということだろうか。
「うん毎日。見に行ったって言っただろう?すごく練習熱心なんだよ。
登録してもらった時に、少し練習にも入れてもらったんだけど、結構ハードでね。
でもすごく良い練習だったんだ。」
「…そうか。」
どうやら既に説得は無理らしい。キラキラ輝くアキラの表情が物語っている。
そもそも伊沢にはアキラの自由を拘束するようなつもりはない。
例えアキラの望みでも、それがアキラ自身に害を及ぼすならば
恨まれようとも阻止するとはいえ、たかだかサークル1つ、それも
アキラにとっては骨まで染みた空手の世界だ。
そう危険なことはないだろう。
そう結論が出れば、伊沢に出来ることは1つしかないのだった。
「…わかった。だが、本当に遅くなる時は送っていく。それでいいか?」
「うん。ありがとう伊沢。帰りはダメだけど、その…
お昼は一緒に食べようね。…だめ?」
「いや、…俺もそのほうがいい。」
「よかった。飛び切り美味しいお弁当作っていくから!」
にこにこと笑うアキラ。
お弁当を手作りしてくれるというのは非常に嬉しい。
今から明日が楽しみで仕方ないほどだ。
だから伊沢もアキラに笑ってみせる。
口の端を、少しだけひっぱって。
「楽しみにしててね!何が食べたい?」
「何でも、…アキラの好きなもので」
アキラが作ってくれるなら、何でも美味しいから、という一言はとっておく。
…どの道伝わらないだろうから。
「…伊沢?」
いつもより沈んだ感じのする彼に、鈍い彼女も彼女なりに気付くところあったらしい。
「大丈夫?なんか…」
「いや、なんでもない」
アキラは一生懸命考えた。
彼女だって、一緒に居たくないから送り迎えを断っているわけではない。
そしてアキラは珍しく、ずいぶん珍しく当たりを引いた。
「そっか、会う時間減っちゃうもんね…ごめん、勝手に決めちゃって」
彼女の言葉に少なからず感動を覚えながら、伊沢は答える。
「いや、構わない。お前が決めたんだから…」
「うーん、楽しいんだけどね、伊沢は入らないの?」
「いや、俺は空手は―――」
「え?空手?」
きょとんとしたアキラの顔。
に、驚く伊沢。
自分は何かおかしなことを言っただろうか?
一瞬考え、アキラが何かに気付いたらしい。
「そっか、ごめん伊沢。言ってなかったね。」
「?」
「俺、空手部に入るわけじゃないんだ」
。
…では、一体何に入るのだ?
「俺が入ったのは、」
「社交ダンス部。」
何百回も頭の中でリピートした挙句
いっそ槍でも降ってくれ、と、彼は思った。
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