手を。

◇3

彼女の手をとる。
優雅に一礼をして、身体を寄せて、
丁寧に、そして力強くエスコートする。
…………俺ではない男が。






「…………矢野さん、あなた本当に初心者?」
「はい。」
「本当?ステップだけやったことあるとか、そういうのは?」
「ありませんけど…………?」
「でもやけに上手いっていうか、覚え早いっていうか、」
「ああ、この前来たときに練習してる方がいらっしゃったから――」

それを見て、覚えました。

素直にこたえるアキラに、一瞬詰まる上級生。
理解できない、というような表情をした後で、ふと思い出す。

「…………そうね、もうすぐ新人戦もあるし、この調子なら。矢野さん」
「はい?」
「もう練習はじめて大丈夫よね。パートナーつきで。」






最近、社交ダンス部の練習は雨ばかりだと評判である。
室内練習だから練習中はそう問題にならないが、困るのは終わってからで、
朝晴れていても傘を持参する部員急増中。
もう少し先だと思っていたけれど、もう(また)梅雨入りかもしれない。

暖かくなってきたとはいえ、夏までは間がある。
濡れて風邪でも引いたら大変だ、傘を差していても風が吹けば意味がない。
そう、いいのは、車に乗ること。
…………という、伊沢の主張に押し切られ、結局毎日送ってもらっている。

自分でサークルに入るって決めて、だから送ってもらうのは申し訳なさ過ぎるから、
別々に帰ろうって言ったんだけど。
やっぱり伊沢は俺に甘い。


帰り着く頃には大抵雨は止んでいるし、心配する必要もないと思うんだけど。

「最近雨多いね。」
「…………」
「伊沢?」
「ああ、多いな。」
「もう梅雨入りするのかなぁ、でもそれにしては夕立みたいな振り方だよね。
 あのさ、最近舞研(ぶけん)でね、こんな噂があるんだよ」

舞研、というのは社交ダンス部の通称である。元々舞踏研究部、とかいうものが
現在の社交ダンス部に変わったその名残らしいが、そんなことはどうでもよいことだ。

「舞研の練習が雨になるのは、雨乞い踊りをしてるからだ、って。」

面白そうにくすくす笑いながら話すアキラは、それがある意味真実を言い当てた噂である
ことに当然全く気付いていない。

本当だったらどうしようか、と面白がるアキラもかわいいが、元凶としてはとりあえず
口をつぐむのが得策だろう。


「アキラ、来週の週末、のぞみたちが一緒に遊びに行きたいと言っているんだが…………」
「来週末?」

もちろん、と言いかけて止めたのを、伊沢は視界の端にちゃんと捕らえた。
あの細い目で、つくづく器用な男である。

「来週末って、何日だっけ…………?」

嫌な予感が高まるが、とりあえず彼女の疑問に答えると、非常に申し訳なさそうな顔をして、
アキラが上目遣いに見上げてきた。
運転に集中できなくなるから、出来ればそういうことは車を降りてからやって欲しいと思う。
それこそ、思う存分。

「ごめん伊沢、のぞみちゃんたちに謝ってもらえるかな?」
「何かあるのか」
「うん、舞研の合宿が」

。

彼の優秀な頭脳は彼女の言葉から考えられる限りの可能性を検討し、一瞬にして判断を下した。

「…………。アキラ、その合宿、男女同時…………」
「あはは、男女一緒じゃなかったら練習にならないよ。
 ダンスってのは、男女ペアでやるものなんだから」

それは知っている。そもそもそれがこの季節はずれの雨の原因でもある。

「ペアを組んで、ちゃんと互いのことが理解できて、心身ともに一体となって、
 やっとちゃんとしたダンスになるんだよ」

色々と(彼にとって)物騒な発言をしているが、アキラにとってはダンスが芸術性の高い
空手のようなものとして捉えられている可能性も大いにある。
つまり、そこに男女の関係が付け入る隙はアキラにとっては、全くないのだ。

だとしたらこうやって目くじらを立てるのはつまり伊沢の我侭であって、当然彼女のやりたい
ことを全力で「影ながら」応援するのが彼の役割だ。


だから彼は耐える。

「…………そうか。のぞみたちには言っておく。」
「ごめんね伊沢。いつか埋め合わせするからって、伝えておいて。」
「ああ。」




アキラが困ると分かっているから、彼は溜息をこらえた。

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